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映画ノート

郵便配達は二度ベルを鳴らす

 
 
今日はテイ・ガーネット版『郵便配達は二度ベルを鳴らす』を観ました。
 
郵便配達は二度ベルを鳴らす(1946) アメリ
監督:テイ・ガーネット
出演:ジョン・ガーフィールドラナ・ターナー/セシル・ケラウェイ/ヒューム・クローニン/レオン・エイムズ
 
J・M・ケインの傑作ハードボイルド小説の映画化
流れ着いたダイナーで住み込みの仕事を得た主人公(ジョン・ガーフィールド)が
店の主人の妻(ラナ・ターナー)といい仲になり、夫殺害の共犯となる様子を描く作品です。

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81年のジャック・ニコルソン版の方は、性描写でも有名だけど
今回観た46年バージョンは、当時の製作コードにより、性描写はまるでなし。
その分二人の心情が丁寧に描かれ、因果応酬の顛末に余韻を残す作品に仕上がっています。

これ『郵便配達は二度ベルを鳴らす』というタイトルなのに
劇中郵便配達人が登場することはありません。
じゃ、タイトルにはどうゆう意味があるの?って話だけど
それは、映画の最後の最後に、主人公フランクの台詞の中で明かされることになります。
 
でも他のバージョンではこの台詞がないのか
いくつかのサイトで「タイトルの意味は何?」って書いてる人が多かったのね。
そこで答えにはならないかもしれないけど、
以下に主人公の最後の台詞をかいつまんで書いておきます。
 

ネタバレになるので、未見の方はスルーしてね

ラストは、事故で死んだコーラの殺人の罪を着せられた主人公に
弁護士が刑確定を知らせにくるという刑務所の中でのシーン。
冤罪を訴えるも、逆にダイナー主人殺害の証拠を叩きつけられ、
ついに観念するフランクの台詞です。
 
大切な手紙が届くのを今か今かと待っているときというのは
郵便配達のベルを聞き逃すまいと、玄関のそばにへばりついたりするものだが
我々は郵便配達が2度ベルを鳴らすことに気づいていないんだ。
彼はコーラに二度ベルを鳴らした。
そして今私に二度ベルを鳴らそうとしている。
たとえ裏庭の奥にいたって、二度目のベルを聞き逃すことなんてないんだよ。
 

彼というのは勿論郵便配達ですが、これは神とか正義という意味を持つのでしょうね。
すなわち、一度は罪を逃れたかに見えても
神は全てをお見通しで、真実は必ず暴かれる。
例え罪状が間違えていたとしても、主人を殺したことに変わりはなく
その罪の代償は必ず払わねばならないのだということを言っているのだと思いました。
 
全てを悟った主人公の表情はとても穏やかでした。
これはそのまま『バーバー』のラストシーンに繋がるし
事故 不倫 別の罪 死刑など 重なるところが多くて面白かったなぁ。