しまんちゅシネマ

映画ノート

バートン・フィンク




作家シリーズ
最後はコーエン兄弟の『バートン・フィンク』いってみます。
バートン・フィンク(1991)アメリ
原題:Barton Fink
監督:ジョエル・コーエン
出演:ジョン・タートゥーロ/ ジョン・グッドマンジュディ・デイヴィスマイケル・ラーナージョン・マホーニートニー・シャルーブ/ ジョン・ポリト/ スティーヴ・ブシェミ
1941年のニューヨーク。社会派劇作家のバートン・フィンクジョン・タトゥーロ)は、ハリウッドに招かれて映画のシナリオを依頼された。早速ホテルにチェック・インしたが、そこは薄暗く、不気味な雰囲気が漂っていた。とりあえず部屋に入った彼だったが……。

 カンヌでパルムドールを獲得するなど、高い評価を得たコーエン兄弟の代表作の一つです。
前に観た時には、突拍子もない票視も展開を見せる変わった映画という印象でしたが、今見直してみると色んなメタファーを考えずにはいられませんね。

 まず舞台となるホテルが面白すぎる。
なんたってエレベーター係りの死人のようなおっさんのほか、従業員はブシェミ先生の姿しかありません。
しかもフロントデスクの下の床の下から扉を開けて登場する。いつまでも鳴り続ける呼び鈴にしても普通じゃなく、この時点でこのホテルは何かおかしいということになります。


 ところで、この映画ネタバレなしには書けそうにないので、以下 未見の方はご注意ください。

 


おかしなことは更に続きます。
軋むベッド、暑さで剥がれ落ちる壁紙、蚊、壁越しに漏れ聴こえる女の喘ぎ声、ジョン・グッドマン演じる隣室の保険屋チャーリー
これらは大きなストレスを抱えたバートンの妄想のように思えます。
1941年という時代背景やバートンがユダヤ人であることを考えると、混沌とした世界のうねりもバートンのストレスに重ね合わせているんでしょう。



 問題の一つはジョン・グッドマンの解釈ですよね。
全てを焼き尽くす地獄の産物、ヒトラーに代表する脅威の権化ととることもできるけれど
一方で、バートン自身と奇妙にシンクロしてるのはどう解釈すべきでしょうか。
気づけばチャーリーの靴と入れ替わっていたり、壁越しの喘ぎ声をチャーリーも聴いていたり
コップを拭う動作が同じなのも気になったし
チャーリーもバートンと同一人物と考えることも可能
そうすると、全てがバートンの凶行ともとれてしまう。



 もうひとつ問題になるのがあの女性の絵です。
地獄のようなホテルにあって、そこだけがパラダイスを思わせるオーラを放っていて
最後にバートンは絵と同じ浜辺を歩き、絵の女性と遭遇するんですね。
作品を書き上げたバートンがようやくストレスから解放されたと見るのか
バートンの死後の世界ととるのが正解なのか・・

なーんて、何を今更かなw
すでに語りつくされた問題だったら、どなたか答えを教えてください。
まぁ最後、ポチャンと海に落ちる鳥のシーンで
「深く考えなさんな。映画だよ映画!」と言われた気はしたんですけどね(笑)

イレーザーヘッド風のタトゥーロは、孤独とストレスをにじませる演技で上手かった。
どこまでも続きそうな暗い廊下は『シャイニング』を彷彿とさせたし
剥がれ落ちる壁紙はポランスキーの『反撥』風。

どこまでが現実で、どこまでが虚構なのか その境界さえわからない映画でしたが
意味するところを想像するのも楽しかった。