しまんちゅシネマ

映画ノート

【映画】 他人の顔




「もうひとりの自分」をテーマにした映画を観てみようという企画
今日は安部公房原作を勅使河原宏が監督した1966年製作の傑作SFドラマ『他人の顔』です。
他人の顔(1966)日本
英題:The Face of Another
監督:勅使河原宏
出演:仲代達也/ 京マチ子/ 平幹二朗/ 岸田今日子/ 岡田英次/ 入江美樹
 奥山仕事中の事故で大やけどを負い、顔と手を包帯で覆われることとなる。
妻に拒絶され、対人関係にも失望した奥山は、他人の顔になって自分の妻を誘惑しようと考えた。精神科医が実験的な興味から、彼に以後の全行動の報告を誓わせて仮面作成を引受けた。

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事故で顔を失った男が、新しく得た「他人の顔」と対峙する姿を描く不条理ドラマ。
顔のない男=奥山を演じるのは仲代達也
透明人間のように包帯で顔を覆い、顔を失うことはすなわち自己の喪失であるということを、精神科医平幹二朗)と語り合うシーンは哲学的で面白いですね。
奥山は特殊なプラスティックで作ったマスク「他人の顔」を得て、自身ではなしえなかったことを実現しようとする。さらには、他人の皮を被った自分は本来ある自己とまるで違うことを証明しようともがき、あげくに犯罪に及ぶ。犯罪者の心理にはこういうこともあるのかもしれませんね。

洗練された武光徹の音楽、磯崎新らによるアーティスティックな造形美
どれをとっても芸術性の高い作品として目と耳を楽しませてくれました。

しかしながら、一度観ただけでは理解できない部分もあり
精神科医や顔の半分に火傷を負った少女の映画の中での存在意味
ナースを演じる岸田今日子さんが終盤手を洗うシーンが挿入される意味合いは?などなど
多くの謎が頭の中をぐるぐると駆け巡ることになりました。
youtubeに監督のインタビューを参考にしたというレビューが投稿されていて、参考になったので
以下自分なりに理解したことを述べていきます。
未見の方はご注意ください。
【ダブルイメージ】
劇中もさまざまなシンメトリーが描かれたり、アパートを借りるシーンがほぼ同じ台詞の繰り返しだったり
岸田さんの顔のリフレクションが映し出されるシーンは硝子に映ったにしては鮮明すぎてハッとしますよね。
レビューを聞いて気づいたのですが、冒頭、人の顔を写した古い写真が倍々に増えスクリーンを覆いつくすところから始まるところからも、この映画が「ダブル」を描くものであることを示唆してもいたんですね。

【何がダブルか】
では何がダブルなのか
第一には勿論仮面有り無しの奥山自身。
平行して語られる顔半分に火傷を負った入江美樹もまた奥山のダブルであるとも言えます。
奥山がマスクで顔を覆うのに対し、彼女は最小限髪の毛で覆うだけですが、顔の傷により自身の尊厳を失い悩むという点では奥山と同じ。
映画自体が戦争の後遺症にあえぐ日本人を投影したものとすれば入江の存在はそれを如実に表している形でしょう。彼女が迎えることになる悲劇。精神科医の診察室のドアの向こうに映し出される
水に漂う長い髪のホラーなイメージはここに繋がるのかな。

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問題は平幹二朗演じる精神科医の存在です。
はじめはマッドサイエンス的な意味を持たせていると思っていたのだけど
終盤押し寄せる顔のない群衆におびえる様子を見せるのは奥山ではなく精神科医なのにハッとします。
彼は奥山に「仮面を返していただこう」と哀願する。
それをアイデンティティを失おうとすることへの恐れと取るならば精神科医自身も奥山のダブル。
精神的束縛から解放されることを試みる奥山に抹殺されるのも、医師がクスクリーンから静かに消えることもそう考えると納得します。

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そのそもこの医師の診察室が異様なんですよね。
芸術的で美しいけれど、観るたびに形や明るさも変化する。
終盤ポーンと音がして誰かが鼓が打っているのには笑ってしまったし。
存在のないものの象徴のような気がしました。

あと、アパート管理人の娘を演じた市原悦子さんの存在はどうでしょう。
どう見てもおばさん・・というのは置いといてw
「娘さんですか?」と訊くと父親が「えぇ、まぁ」とあいまいに答えるところから、この父娘はいびつな関係にあるのかもしれないと思わせる。知恵遅れということもあって、彼女もアイデンティティ・クライシスに陥った存在であり、仮面の男と包帯の奥山が同一人物であることを完全に見抜いている点で、彼女もまた奥山の分身ということかもしれません。ヨーヨーが意味するところは何かは分かりませんけど。

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終盤ナース岸田さんが手洗いをするシーンも象徴的です。
彼女を取り巻く壁の黒い模様が血液をイメージし、その後シーンが奥山と医師とのラストシーンに繋がるところを見ると、ナース自身も奥山の一部ということかな。

「もうひとつの自分」を獲得することでアイデンティティ・クライシスに対峙しようとするアプローチは『セコンド』に似ていますが、ダブルを複数配したこちらの方がより複雑でした。

ごちゃごちゃと自分なりの推察を書き連ねましたが、お付き合いいただきありがとうございました。