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映画ノート

【映画】ウォーデン 消えた死刑囚



ウォーデン 消えた死刑囚 (2019)
The Warden

【あらすじと感想】
今日は先日観たイラン映画の感想を。

新空港建設のため立ち退くことになった古い刑務所を舞台にしたイラン映画です。

引っ越し最終日、最後の片付けに追われる刑務所で
所長のもとに「囚人が一人行方不明」との連絡が入る。
直前に昇進の話が舞い込んだ所長にとって、絶対の危機。
所内をしらみつぶしに探す大捜索が始まるが・・・

イランで大ヒットしたという本作、
ヒットの裏には、中国に次ぎ世界で二番目に死刑執行が多い国でありながら
冤罪も多く、死刑制度廃止を求める声が高いというお国事情があるようです。

しかし、そういったものを知らずに観ても、囚人探しのヒリヒリした緊張感があって面白い。
加えて、登場人物(プラス動物!)がどこかユーモラスで楽しいし、ラブコメまがいな要素まであって、緩急織り交ぜた作りが飽きさせないのですよ。

 

しかし、最後になって「ん?」となる・・

ここからラストシーンに触れますので未見の方はスルーしてください。

 

 


驚くのは、ラストのラスト、絞首台の底に隠れていた死刑囚を、所長が見逃がす(逃亡を許す)のですよ。それまで必死の形相で追い続けた所長がなぜ?

なんだかいい話で終わった感もあり、
あ、ここ感動すべきなんだと遅れてほっこりもしてみたんだけど

途中、所長の心の変化を示す描写があったっけ?
いやいや、所長の立場からすれば、まず裁判なりで冤罪を証明するのが先では?と複雑な気持ちになりました。

しかし、ここで、絞首台を作ることを依頼された冒頭の囚人の言葉がよぎります。
「人の命を裁く絞首台作りに関わりたくない。もしも冤罪だったらその家族に顔向けできない。」

自分は神じゃないから判断できないということも言っていて、そうか、イランでは人を裁くのは神なんだと気づくのです。

そう思って観ると、最後の最後まで死刑囚が姿を見せず、ラストシーンが死刑囚の視線で終わることにも合点がいきます。

もしかしたらこれは神の視線?
姿を見せないのは、イスラムの神が偶像崇拝を禁じているからではないかと。

思い返せば、刑務所を映し出すカメラワークにも俯瞰的なところがあったり
彩度を抑えた房がどこか荘厳だったり、そこに神の存在を感じさせるものがあった気がしてくる。

所長の行動も無意識に神の意思に従ったともとれるわけで、一気にファンタジーになりますが、神秘性に痺れるじゃないですか。

全ては神のご加護。
人を裁くのは神であって人ではないと


そんな映画だったように思います。