しまんちゅシネマ

映画ノート

仮面/ペルソナ


1967年(スウェーデン)監督・脚本:イングマール・ベルイマン出演:ビビ・アンデショーン/リヴ・ウルマン/グンナール・ビョルンストランド【ストーリー】舞台女優のエリザベート(ウルマン)は、仕事も高く評価され、私生活でも夫は理解があり、子供にも恵まれて、何不足ない暮らしをしていたが、舞台上で言語障害を起こした後、全身麻痺に陥ってしまう。一夏の転地療養を勧められ、看護婦アルマ(アンデルソン)と共に海辺の女医の別荘を訪れたエリザベート。不明瞭な彼女の言葉をよく理解し、懸命に尽くすアルマ。やがて二人は患者と看護婦という結びつきを越えた所で親しく接するようになる。その意識の共有。エリザベートの出産話はアルマにつわりの体験をさせ、アルマの肉欲が久しく夫と寝ていなかったエリザベートの快感を操る。ある日アルマは、かつていきずりの男たちと浜に戯れ、その結果妊娠した子を堕胎したトラウマを告白する。このことをエリザベートは女医への手紙に綴ってしまい、それを見たアルマと仲違いするが、憎しみすら互いの同体感覚を呼び覚ますのだ。しかし、この二人の関係もあっけなく終わりを遂げるときが来てしまう……。

■感想

時々ベルイマン! シリーズ第一弾 行きます!(笑)


いや~、本当に最初は、ちょっとまとめて記事書こうかななんて思ってたんですよ。でも無理!w
毎日ベルイマンのこと考えてたら、頭混乱して仕方ないってことに気付きました。
しかもやっぱり難しく私には敷居が高いのね~(≧∇≦)

それでも、シリーズ第一弾はこの「仮面/ペルソナ」

タイトルになっている仮面(ペルソナ)というのは心理学の用語としても使われている言葉だそうです。
Wikipediaによりますと、ペルソナ(仮面)はそもそも役者が用いた仮面のことですが、
カール・グスタフユングは【人間の外的側面】をペルソナと呼んだようです。
ペルソナとは自己の外的側面。例えば、周囲に適応するあまり硬い仮面を被ってしまう場合、あるいは逆に仮面を被らないことにより自身や周囲を苦しめる場合などがあるが、これがペルソナである。…としてますが、ちょっと難しいですね。

この作品の場合、【ペルソナ】の仮面をかぶっていたのは、まず舞台女優を演じるエリザベートリヴ・ウルマン)でした。

ある舞台の途中、突然言葉を失い、翌朝ベッドからまるで動けない状態となったしまったエリザベート
有名女優の看護に当たったのが看護師アルマ(ビビ・アンデショーン)です。

季節外れのサマーハウスで療養するうち、言葉は話さないものの、自由に動けるようになるエリザベート
アルマとの関係も良好で、女優を離れ、穏やかな毎日を送ります。
そんなエリザベートを退屈させまいと、色々な話しを話してきかせるうちに、アルマはエリザベートに心を開き、
過去の男性関係の過ち、堕胎をした過去などを話すようになります。このあたりの表現はかなり官能的。

ところがあることをきっかけに二人の関係が崩れてしまうのですが…。


最初に仮面をかぶったのはエリザベート、と書きましたが、エリザベートは内なる自分のある罪の意識に耐えきれず、
これ以上その罪を隠して、そと見のよい自分を演じきることに疲れ果てていたのです。

そと見の良い自分を演じること自体がそもそも仮面をつけるということでしょうが、言葉を閉ざし、全ての自分を封じ込めた
エリザベートは仮面を二重にかぶってしまったのかもしれません。


そのエリザベートの内なる苦悩はどこから来たのか‥、それが明らかになる過程がまた凄いのです。

エリザベートの内面を語り始めるのが、彼女自身ではなくアルマなのですね。
しかし、到底それはアルマの知り得ない事実。。 

すなわち、アルマはエリザベートの心の鏡、アルマの姿で語り始めるのはエリザベート本人の内の声でもあるのでしょう。

しかしながら、自体は実はもっと複雑‥。
なぜならアルマ自身も憧れからエリザベートに自分の姿を映し始め、
自らの心の声を、エリザベートの声として聴き始めるのですから。。。


もう後半は、どっちがどっち??? ってなっちゃいます。
時間をおいて2度観ましたが、まだ完全には理解しきれません。それだけ深いのです。

それでも、それぞれの心の闇に惹き込まれ、仮面をかぶらなければならなかった事実にも胸が痛みます。
深い深い真相心理をえぐり出す、驚異の作品。

みなさんも手始めにいかが?(笑)




★★★★☆