しまんちゅシネマ

映画ノート

シェルタリング・スカイ


cinema de しりとり 22回目 【し】

今日は『ルドandクルシ』から繋がって、「し」で始まる映画
ポール・ボウルズの原作をベルナルド・ベルトルッチが映画化した『シェルタリング・スカイ
サハラ砂漠を舞台に、倦怠期にあるアメリカ人夫婦のさすらいを描くドラマです。
 
シェルタリング・スカイ (1990) イギリス
監督:ベルナルド・ベルトルッチ
出演:デブラ・ウィンガージョン・マルコヴィッチ/ジル・ベネット/キャンベル・スコットティモシー・スポール
 
■感想
戦後間もない1947年、アメリカ人夫婦ポート(ジョン・マルコヴィッチ)とキット(デブラ・ウィンガー)は、
富豪の青年ターナーキャンベル・スコット)を伴い、北アフリカへとやってきた。
倦怠期にあるキットとポートにとって、何かを変えるための旅であったはずなのに、
キットはターナーとベッドをともにし、夫婦の溝は埋まらない。
そんなある日、ポートは伝染病に倒れ・・・
 
港に着き、「僕たちは戦後初めてここに来たツーリストかも」と言うターナーを、
デブラ扮するキットが「私たちはツーリストじゃないわ」と制し、
マルコヴィッチ、ポートとともにツーリストとトラベラーの違いを説明します。
出発点に戻っていくのがツーリスト、全く戻らないかもしれないのがトラベラー。
「私は半々」と言うキットの言葉とともに、映画全体の伏線になっていました。
 
心の底では愛し合ってるはずなのに、溶けあえない二人
↓このシーンでもサングラスの下は涙

 
修復の旅の途中、異国の地で夫が命を落とそうとしている。
妻の心細さが痛いほどわかって、号泣するしかなかったです。
 
後半、夫の死後、キットがアラブのキャラバンに同行するという、思わぬ展開を見せます。
一所にとどまらず、移動を繰り返す夫に不満を訴えていた妻が
今、同じように、さすらいの旅を続けるのです。切ない
シェルタリング・スカイとは、直訳すれば「庇護する空」の意
さすらいの果てに、キットは心安らぐシェルタリング・スカイを見つけることができるのでしょうか。
寄航時、合図と共に子供たちが現れ、荷物を運んでくれるシーンがあります。
お金を出せば、何でも思うようになると思わせる描写
ところが終盤、その考えはものの見事に打ち砕かれることになります。
アラブの文化の中では、近代的な価値観は通用しない。
アメリカをはじめとする近代諸国のおごりをも考えさせられました。
オレンジ色の砂に青空の広がる、雄大サハラ砂漠の風景の美しいいこと。
これ音楽が坂本龍一だったんですね。
エキゾチックなシーンでも音楽が印象的に使われていて、心を奪われます。
 
デブラさんの演技も秀逸。
これよかったです。
 

次は「」から始まる映画だよん゜+.(・∀・).+゜ イーーっ