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映画ノート

【映画】『彼女が消えた浜辺』を推理する

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 彼女が消えた浜辺(2009 イラン
原題:About Elly
監督:アスガー・ファルハディ
脚本:アスガー・ファルハディ
出演:ゴルシフテ・ファラハニ/タラネ・アリシュスティ/シャハブ・ホセイニ/メリッラ・ザレイ/ペイマン・モアディ

【あらすじ】
テヘランからほど近いカスピ海沿岸のリゾート地に週末旅行へとやって来た3組の家族と独身のアーマドとエリー。しかし翌日エリは海岸で忽然と姿を消す。


【感想】
ミステリー映画特集4本目
別離』でオスカーを獲得したイランのアスガー・ファルハディ監督による心理ドラマです。

手違いで予約していたコテージを借りられず、海辺の古い別荘で休暇を過ごすことになった3組の家族と友人2人。
セデピーは独り身になったアーマドと引き合わせるため、娘の保育園の先生エリーを誘っていました。
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仲の良いグループに一人見知らぬ顔のエリーは、ぎこちなさを感じながらも次第に打ち解けてきます。
しかし滞在2日目、海で子供が溺れるという事故が発生。かろうじて救出さ命を取り留めるものの、浜で子供を見ていたはずのエリーの姿がどこにもない。

エリーは子供を助けようと海に入ったのか
あるいは誰にも言わず、どこかへ行ってしまったのか 

エリーの行方をめぐり、保身やなんやで残されたものが互いを攻撃し合うという展開になり、その心理合戦の面白さを堪能しました。
そうこうするうち、ある驚きの事実が発覚し映画は結末へと向かうんですが。。
私の中で何かモヤモヤしたものが残ってしまい、そこを語らずにいられないんです。
なので今回ネタバレで自分の推理を展開しますので、未見の方はご注意ください。


 結末から言いますと、
エリーは捜索しても見つからず、家族に連絡をしなければという話になり
エリーの携帯の着信履歴から兄に連絡をとることになる。
ところが、エリーに兄弟はおらず、それがエリーの婚約者だったことがわかるんですね。

婚約者のいる女性を他の男に紹介するなどあるまじきことと、セデピーは夫にも激しくののしられる。
しかしその後、エリーは実は婚約者のことを嫌っていて、婚約を破棄したがっていたということをセデピーから聞くことになります。ムスリム文化では女性が婚約を解消するなど許されないのでしょう。もう3年近くもエリーは結婚を延ばし続けていたらしい。

セデピーは仕切り屋で簡単に嘘をつく女と非難されがちですが、彼女はいつだってみんなのために最善を尽くそうとする人で、エリーがいなくなったと聞くと迷わず海に入って必死に探すし自分の非も素直に認める人なんですね。

そのセデピーが、用事があるから帰りたいというエリーを帰らせまいと、荷物まで隠してしまうのは違和感があります。
「一緒に来たんだから一緒に帰らなくちゃ」と、自分の計画を最後まで実行することにこだわるのだと捉えることもできるんですが・・。
もしも、エリーに婚約者以外に好きな人がいた。しかもそれは不倫だったと考えると、色んな事に合点がいく。

セデピーはエリーに不倫をやめ、まっとうな結婚をしてほしかった。
でも不倫のことなど女性として誰にも言えなかったのではないか。

↓まるで牢屋にいるようなこういうシーンもエリーの「罪」をにおわせる
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実際エリーはやたら携帯で誰かに連絡を取りたがっていて、セデピーはその携帯を隠していたという事実。
兄と思われる人物に連絡するため、男性陣がエリーの携帯を調べるとき、映画ではあえてエリーが着信を受け取った時刻を確認するというシーンがある。普通であれば最新の着信を確認する方が自然じゃないかな。

ラストシーン、溺死体があがったと連絡があり、婚約者が死体を確認する。
少ししか顔が映らず、私にはそれがエリーかどうかはっきり見て取れなかった。
婚約者が静かに涙を流し、メンバーからのお悔やみの言葉を受け入れたので、あーやっぱりエリーだったのかとその時は思ったのだけど、はたしてそうだったか。

もしもそれがエリーでなかったとしたら、エリーはどこかに意図的に消えた可能性が強くなる。
そしてもしも、婚約者がエリーの不倫の事実を知っていて、エリーが不倫相手とどこかに逃げたのだとしたら、
婚約者にとってはそんな事実を受けいれるよりエリーを死んだものとして納得する方が楽かもしれない。
あるいは、そうまでするエリーを解放してあげようと思ったかもしれない。
などと思うのであります。

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最後にエリーを映し出すシーン
もつれた糸を直し、凧を無心に上げる姿がやたらと印象に残ります。
何もかも捨てて、青空を自由に飛び回りたい そんな思いがあったのかなと。

アーマドから「永遠の最悪よりも、最悪の最後の方がまし」という言葉を聞いた時、彼女は好きでもない相手と結婚するという永遠の最悪から抜け出すことを考えたのではないか。

目の前で溺れる子供を、保育園の先生であるエリーが放って逃げたとは考えにくいけれど、子供が助け出されたことを確認した後、自分が死んだことにするチャンスととらえたと考えられるような気がします。

なんてね。勝手な推理ですが。
そんな想像を可能にするくらい、人物像の描きこみがリアルで明確なのがこの映画の素晴らしいところ。
エンディング曲の優しさも心にしみました。