『10億ドルの頭脳』ハリー・パーマーシリーズ三作目
10億ドルの頭脳(1967) イギリスBillion Dollar Brain監督:ケン・ラッセル出演:マイケル・ケイン/カール・マルデン/エド・ベグリー/フランソワーズ・ドルレアック/オスカー・ホモルカ/スーザン・ジョージ
マイケル・ケインが英国諜報員ハリー・パーマーを演じる前2作は残念ながら未見で、いきなり3作目に飛びました。
そこでハリーを出迎えるのが、アーニャというカトリーヌ・ドヌーブ似の美人さん
と思ったら、ドヌーブの実の姉のフランソワーズ・ドルレアックだったのね。
ヘルシンキの雪原をスノーモビルをかっ飛ばすアーニャがカッコいい。でも寒そう。
いちいち契約書にサインするのが、流石国家公務員w
ケインさまは、オースティン・パワーのモデルと言われるクロぶち眼鏡で、プチ二ヒルに決めてるんだけど、冒頭からコーンフレークス暮らしを垣間見せたり、アーニャにも早速依頼金を請求したりと なにせ、ちょっとお金に困ってるw
ソビエトの諜報部隊やら悪の組織やらが入り乱れ、どたばたしてるうちに終わっちゃった~という印象です。あ、オチは可愛かった♪
*yahooからの移行記事に加筆し再掲しました。
『逢びき』また来週、同じ時間に
デヴィッド・リーンも好きな監督です。
今日は小品ながら人気の高い『逢びき』を初鑑賞しました。
逢びき(1945)
Brief Encounter
【あらすじ】
会社員の妻で子持ちのローラ(セリア・ジョンソン)は、毎週木曜、近郊の小都市への買い出しついでのランチや映画を楽しみにする平凡な女性。ある夕方、帰りの汽車を待つホームで目に入った砂を、居合わせた医師アレック(とレヴァー・ハワード)が取り除いてくれた。2人は待合のバーで顔を会わすうち、互いに魅かれていく。
【感想】
互いに家庭のある身の男女の出会いと別れを描くイギリスのドラマです。
最初は少し戸惑いつつ、夫の話なども持ち出してそれなりにバリアを張っているローラですが、駅での逢瀬を重ねるうちに、愛しあってしまうんですね。
ローラの回想をローラ自身のナレーションで語っているところから、ローラ目線の不倫劇ということになりますが、逢瀬のときめきが深い罪悪感へとシフトし自分を苦しめる心境が良く伝わります。
時代ということもあってか、全てを捨てて恋に走ることにはならず、やがて自分たちの手で関係を終わらせる2人。
ともすればドロドロなドラマになってしまうところ、互いを尊重し別れを決意するところが今も人気の名作ということになるのでしょう。
個人的には、2人の恋物語以上にローラの夫の存在が良かった。
冒頭の疲れ切って涙を流すローラを夫が心配する場面は、実はその晩ローラがアレックと別れてきた後だというのが最後になってわかります。このシーンを巻き戻して観てみると、夫はローラが見てる時には呑気にクロスワードパズルをしてるけれど、ローラが下を向いてるときには、不安な面持ちで妻を見つめてるんですね。
夫はいつから気づいていたんだろう。
おそらくは何かを察知しながら、普段と変わりなく妻を迎えたであろう夫。
もしかしたら夫も何らかのそぶりを見せていたかもしれないけれど、医者との恋に舞い上がり夫のことなど眼中になかったローラはそれに気づきもしなかったのでしょう。
前述したように、夫の表情の変化をカメラがとらえている時も、ローラ自身は夫を見ておらず、だから彼女の回想の中で、夫は相変わらず呑気でただの善良な人なのです。
原作では時間の流れに沿って描かれてるらしいですが、時間軸を入れ替えることで、夫の包容力を際立たせた構成に拍手。これは共同脚本も手掛けた原作者ノエル・カワードの功績かな。
最後にごちゃごちゃ付け加えないのも潔し。
夫は妻を信じ、戻ってくるのを待っていたんだとわかった瞬間泣けてしまった。
大きな瞳で恋の歓びと罪悪感、苦しみを表現したセリア・ジョンソンはアカデミー賞主演女優賞にノミネートされてます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/逢びき
『昼顔』 妄想主婦の秘かなチャレンジ
セブリーヌ(カトリーヌ・ドヌーヴ)はパリに暮らす美しい若妻。
医師の夫を愛しているのに、性生活に戸惑いがあり、夫には我慢を強いている。
そんな心理を反映してかマゾヒスティックな空想に駆られるある日
セブリーヌは夫に内緒で昼間だけ「昼顔」という名前で娼婦館で働きはじめる・・
そのあられもない姿に当時ファンはさぞ驚いたことでしょう。
ではなぜ妄想するのか
あるものは実は淫乱だからと断じるけれど、それを示す描写はありません。
少なくとも彼女の中で、性行為は汚らしいものだったのではないか
確かなことは、セブリーヌが夫を愛し、夫の愛にもこたえたいと思っていること。
娼婦として客をとることがトラウマを払しょくし、性への壁を取り除く助けになると信じていることでしょう。
スキャンダルな要素を強めることに成功してますが
妄想の中の田園風景のおとぎ話的なのどかさでエグさを打ち消してもいて
ブニュエルの絶妙な匙加減がニクいよねぇ。
『ミスティック・リバー』 全ては川に沈めて
ミスティック・リバー(2003)
Mystic River
【あらすじ】
ボストン郊外で雑貨店を営むジミー、家族と平凡に暮らすデイヴ、州警察刑事のショーンの3人は少年時代を共に過ごした幼馴染。しかし11歳のとき一緒にいたデイヴだけが誘拐され性的暴行を受けるという事件が起き、以来3人は疎遠になっていた。25年経ったある日、ジミーの娘ケイティが遺体となって発見される。ショーンが事件を担当し、やがて事件当日の真夜中に、怪我を負って帰宅したデイヴが捜査線上に浮上する・・
かつての幼馴染ジミー(ショーン・ペン)、ショーン(ケヴィン・ベーコン)、デイヴの3人はそれぞれに家庭人になってはいるものの、もはや近い存在ではなくなっている。
しかし、ジミーの娘が何者かに殺されたことを機に3人の運命は再び動きだすわけですね。絡み合いながら。
25年間、デイヴは「(連れ去られたのは)何故自分だったんだ」と思い続けたのでしょう。吸血鬼が人間であったことを忘れてしまったように、感情を空っぽにすることでかろうじて生きてきたデイヴ。
妻に過去を話すこともできないまま心の闇を暗い表情に押し込め、それでもなんとか前を向こうと思い始めた矢先、「あの日」が蘇る場面に出くわしてしまう。
偶然にもケイティ殺しと同じ時間帯に起きてしまうところに、神の悪意を感じずにはいられない。妻に真実を告げられずにいたことが更なる悲劇を生むやりきれない構図。
後に明らかになる犯人が、ケイティをホッケーのスティックで殴打していたことにも25年前のあの日が蘇るわけで・・・
原点を辿れば全て25年前にいきついてしまうストーリーテリングが面白いと思う。
ジミーの妻アナベス(ローラ・リニー)もジミー以上に裏社会との縁が深く、そこには彼らなりの生きざまがあるわけです。
ショーンは何故ジミーを逮捕せずにいるのか・・
もしかしたらこの後逮捕するか、もしくはジミーの自首を待つという可能性もあるだろうけれど、敢えて真実を闇に葬ることを選んだのだとすれば、それはジミーへの同情からではなく、街の平穏を保つためではないかしら。
【映画】グリーンブック
ピーター・ファレリーが監督しアカデミー賞で作品賞、脚本賞 ドン・シャーリーを演じたマハーシャラ・アリが助演男優賞を受賞した伝記ドラマです。
グリーンブック(2018)
Green Book
【あらすじと感想】
1962年、アメリカ。ニューヨークの一流ナイトクラブで用心棒を務めるトニー・リップは、ガサツで無教養だが家族思いのイタリア系男。店の改修で仕事がなくなり、バイトを探していた彼のもとに運転手の仕事が舞い込む。雇い主はカーネギーホールに住む天才黒人ピアニスト、ドクター・シャーリー。黒人差別が色濃く残る南部での演奏ツアーを計画していて、腕っぷしの強い運転手兼ボディガードを求めていた。こうして2人は、黒人が利用できる施設を記した旅行ガイドブック“グリーンブック”を手に、どんな厄介事が待ち受けているか分からない南部へ向けて旅立つのだったが…。<allcinema>
作品中に障害者を登場させたり、肉体的なコンプレックスをテーマにした元来のファレリー節は少々苦手で、ファレリー兄弟のピーター・ファレリーが黒人差別の伝記もの?アカデミー作品賞受賞?と驚いたのだけど、いつものおゲレツ、おバカぶりはなりを潜め、ハートウォーミングな作品になってて凄くよかった。
粗野で学はないが、こよなく家族を愛するイタリア系白人のトニーと、裕福でエリートな黒人天才ピアニストのドン・シャーリー
黒人差別がまかり通る時代に、微妙な人種ポジションの2人が、ガイドブック「グリーン・ブック」を手に、南部への演奏ツアーに出かけるというお話です。
まずはどんだけ体重増やしたん?という腹回りとデニーロばりの喋りでイタリア移民の白人トニーを演じるヴィゴがいい。
イタリア系移民のみなさん相変わらず親族で集ってるんだが、彼らは揃って黒人を毛嫌いしていて、トニーもリベラルな妻が黒人修理人に提供したレモネードのコップをゴミ箱に捨てるほど。しかし南部への旅はそんなトニーの心境に変化をもたらすのです。
どこにも共通項のない二人が互いに学び、信頼を深めていくさまが心地よい。ケンタッキーフライドチキンをおいしそうに食べるシャーリーにも、シャーリーに妻への手紙を手直ししてもらうトニーにもニマニマしてしまう。特にトニーはシャーリーのマネージャー的な手腕を発揮し、手紙も上手に書けるようになるほど、実はポテンシャルの高い男だった。
勿論南部での黒人差別は憤りを覚えるもので、差別する側が口にする「そういうものだから」にはハッとするものがある。黒人というだけで嫌っていたトニー同様に、私たちは偏見だけで差別してしまってないだろうか。この映画は、人の価値は人種や職種やお金なんかで決まるものではないと教えてくれる。
マハーシャラ・アリはエレガントで孤独な天才ピアニストを演じて二度目のオスカー受賞。黒人でありながら黒人が知ることは知らず、勿論白人でもないというアイデンティティに対する苦悩を吐露するシーンが印象的だった。
ピアノを弾く手元は別の人とのことで、どうやってミックスしてるのかは知らないけど
「らしく」演奏しててうまかったし、ジャズシーンのノリの良さなど、音楽映画としてのクオリティをあげることに貢献している。
表情やしぐさで「ゲイ」の一面をすこーしだけ垣間見せるあたりもゲイが細かかった。
終盤、シャーリーはトニーに代わって車を運転し、トニーをクリスマスで賑わう自宅まで送り届ける。トニーを送ったあと、豪華な、でもガランとした自室に一人戻ったシャーリーは、孤独を強く感じたのでしょう。
でも孤独を突破するカギは自分から勇気をもって行動すること。
トニーに教わったように、シャーリーが再びトニーの家の門をたたくのがいい。
これはクリスマスに観たかったかも。
2人のその後を見せるエンドロールも胸アツ。
友情物語のロードムービーとしても、音楽映画としても楽しい作品でした。
映画データ
製作年:2018年
製作国:アメリカ
監督:ピーター・ファレリー
脚本:ニック・ヴァレロンガ/ブライアン・カリー/ピーター・ファレリー
出演:ヴィゴ・モーテンセン/マハーシャラ・アリ/リンダ・カーデリーニ/ディミテル・D・マリノフ