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映画ノート

【映画】リプリー

パトリシア・ハイスミスリプリーシリーズをチェックしていて、『リプリー』を再見しました。

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リプリー(1999)
The Talented Mr. Ripley

【あらすじと感想】
1950年代のニューヨーク。貧しく孤独な青年トム・リプリーは、ピアノ弾きの代役として出向いたパーティで大富豪のグリーンリーフに息子のディッキーと同じプリンストン大学の卒業生と間違われる。とっさにディッキーの友人を装ったトムは地中海で遊び呆けているディッキーを連れ戻すように依頼され。・・・。

太陽がいっぱい』(1960)と同じパトリシア・ハイスミスの原作をマット・デイモン主演で映画化した一本です。
原作が同じだから大筋のストーリーは同じ。
なのに映画としては随分違うものに見えるのは何故だろう と考えてみる。

まずはアラン・ドロンマット・デイモンの美しさの違いによるものが大きいかな。
美しさ故に、自分にふさわしい器を求めてしまうことに説得力があるドロン版。
対してデイモン版は、知性はあるのに貧しく、劣等感を抱えている。
上流階級への憧れからディッキ―に近づくものの、ディッキ―の洗礼された美しさや華やかさには程遠く
劣等感を強くしてしまうことが坂道を転げ落ちることに繋がっていく。

デッキ―に寄せようとしたり、嘘に嘘を重ねるマットのリプリーは正直気持ち悪い。
ついに精神を破たんさせるさまは、もはやホラーの恐ろしさで、
ドロン版とは違う恐怖を演出している点が面白い。

アンソニー・ミンゲラは当初リプリー役にトム・クルーズを考えていたと聞くけれど
クルーズではこの劣等感と気持ち悪さは出せなかっただろうと思う。

次にマルジェとマージ、ピーターの存在をどう見るかという点
ドロン版ではリプリーはマルジェに気があるように見える。
実際最後にはフィリップ(ドロン)の財産とマルジェを丸ごと頂こう作戦に出るわけで
フィリップに憧れ、彼のすべてを手にしたい願望からなのか、愛情からなのか判断しにくいところがある。
一方、デイモン版ではリプリーはマージにまるで興味を示していない
ピーターに見初められたように、マットのリプリーはドロン版よりも同性愛的な要素を強くしている。

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もうひとつ特筆したいのはジュード・ロウの存在でしょう。
超絶に美しく奔放で、金持ち特有の無邪気さもありながら残酷なディッキ―を
彼史上最高の演技で見せてくれるジュードが最高で眼福。
それゆえ、ジュード退場後の展開に華がなく、気持ち悪さで埋め尽くされるのが辛い。

名作に音楽あり
ニーノ・ロータのテーマソングの哀愁。これが『太陽がいっぱい』のすべてだと思えるほどの存在感で
映画のヒットに大きく貢献しただろうことは疑う余地もないでしょう。
リプリー』ではそれに代わる音楽がないのが残念。

その他、カメラワークや時代を映す街の風景なども違うわけで
原作が同じでも両者の印象はまるで違う。その違いを楽しむのも映画の面白さでしょうね。


映画データ
製作年:1999年
製作国:アメリ
監督/脚本:アンソニー・ミンゲラ
出演:マット・デイモンジュード・ロウグウィネス・パルトローケイト・ブランシェットフィリップ・シーモア・ホフマン、ジャック・ダヴェンポート