【映画】『桜桃の味』視点を変えれば幸せも見えてくると教えてくれた
4日にはイランの巨匠、アッバス・キアロスタミ監督まで亡くなってしまった。
キアロスタミ監督と言えば、淀川長治さんが「爆笑問題」の太田さんとの対談の中で
『桜桃の味』を観てないという太田さんに「死刑!」を言い渡したエピソードが記憶に新しい。
私も死刑だと思いつつそのままになってた『桜桃の味』、やっと観ました。
生きることに疲れ、自殺を決意した男が、ある出会いにより心の変化をきたすさまを描くヒューマンドラマです。
太田さんもご覧になったかな。
桜桃の味(1997)イラン
原題:Ta'm e guilass/The Taste of Cherry
監督/脚本:アッバス・キアロスタミ
出演:ホマユン・エルシャディ/アブドルホセイン・バゲリ/アフシン・バクティアリ
中年の男バディ(ホマユン・エルシャディ)が車を走らせている。彼は職を探している男を助手席に乗せては、遠くに町を見下ろす小高い丘の一本の木の前まで無理矢理に連れてゆき、奇妙な仕事を依頼する。
【感想】
人によっては退屈極まりない作品らしいのだけど、私には一語一語が心に染み込みる傑作でした。
暗い目で車を走らせる主人公のバディは、自殺することを心に決めた男。
彼は協力者になってくれそうな人を探しては、死に場所と決めた穴に連れていき
「明日の朝、この穴に横たわる私の名前を呼んで、もし返事をすれば助け起こし、
無言ならば土をかけて欲しい」と依頼する。
報酬があるとはいえ、誰も「死」に係りたいとは思わないわけで
「よっしゃ!まかせとけ!」と言える人はそうそういないよねぇ。
話を聞いて一目散に逃げたり、アラーの意に背くと説教したり
その反応にバディの気持ちはさらに荒んでいく。
映画の前半はそうしたバディの虚無感と、怒りにも似た思いが描かれます。
でもそうしながらもキアロスタミ監督の演出はどこか優しい。
バディが山道で脱輪するシーンでは
すぐさま車の周りには日雇の山堀労働者が寄ってきて、あっという間に車を抱え上げてくれる
↑その先頭にいるのがニコニコ顔のおじいちゃんだったり
途方に暮れブルドーザーの通り道に座り込む主人公に移動を指示する現場監督も
「邪魔だからどきなさい」と言いながらも、「お茶をあげようか」と訊いてきたり
そうして三人目の協力者候補として登場した一人のおじいさんとの出会いは、
バディの中に小さな変化をもたらすのです。
思うに、どうしようもないほど思いつめ、死を覚悟した人間は
誰かに協力を求めたり、死ぬことを話したりしない気がする。
バディはじめ、多くの人は心の中で最後の瞬間まで、生きる望みを探しているんじゃないかと思うんですよね。
タイトルの「桜桃の味」のエピソード含むおじいさんの話は
自らの体験から生きることの意味を教えてくれるもの。
美味しいとか美しいとか感じられるのは生きているからこそ。
人が美味しいと喜ぶ姿を幸せに感じるのも生きていてこそ。
そんな話に涙が止まりません。
映画はしかし、バディが最後どうなるのか、その結末は描かない。
暗転のあとのあのラストには正直ポカンとなったけれど
おそらく、そこからは観客自身が想像し、結末を演出していいということでしょうね。
イランの街中は黄色い埃にまみれていたけれど
人々の心にはまだ緑がある。
見方が変われば、物事は違って見える。
それま気づかなかった幸せに気づくこともあるんだと教えてくれます。
そんなことを優しく諭してきた監督の死は、イラン国民とって大きな損失であり悲しみでしょう。
監督のご冥福を心からお祈りします。
余談ですが
昨日はわがダラスも黒人問題を引き金にした銃撃戦で大変なことになってまして
今日は何となく外に出るのが怖いです。
たくさんの人がこういう映画を観て、視点を変えるきっかけを得たり
幸せを感じるすべを見つけていけばと思わずにいられません。