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映画ノート

【映画】ライク・ア・キラー 妻を殺したかった男

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オーストラリア在住のブロ友guchさんに教えていただいた作品です。
太陽がいっぱい』のパトリシア・ハイスミス原作の殺人ミステリーとあっては観ないわけにはいきません。
ライク・ア・キラー 妻を殺したかった男(2016アメリ
原題:A Kind of Murder
監督:アンディ・ゴダード
出演:パトリック・ウィルソン/ジェシカ・ビール/エディ・マーサン/ヴィンセント・カーシーザー/ヘイリー・ベネット


【あらすじ】
1960年代、ニューヨークに暮らす建築家のウォルター(パトリック・ウィルソン)は 富を築いた勝ち組の男。しかし幸せだったはずの結婚生活には暗雲が垂れ込めている。ウォルターは嫉妬深い妻クレア(ジェシカ・ビール)に嫌気がさし始めたのだ。彼の趣味は短編ミステリー小説を書くこと。殺人事件を伝える新聞からインスパイアされた物語をタイプライターに打ち込んでいく。
ウォルターはある殺人事件に興味を持った。
古本屋を営む中年男キンメル(エディ・マーサン)の妻がナイフで惨殺されたその事件はいまだ未解決。
警察はキンメルを疑っているようだが、キンメルにはアリバイがあった。
事件に思いを巡らすうち、ウォルターはキンメルのことが気になって仕方なくなっていく。

原題は『A Kind of Murder』。
「ライク・ア・キラー」とか変な邦題がついてるけど、「ある種の殺人」くらいが意味近いんじゃないかなぁ。
副題の「妻を殺したかった男」は原作小説の邦題ですね。

タイトルからネタバレみたいなものなので書きますが、ウォルターの妻クレアはウォルターとの言い争いの後、危篤の母の元にいくとバスで出かけたまま、翌日、橋の下で死体となって発見されます。

そこが古本屋の妻殺害現場付近とあって、警察は二つの事件の関連を疑い色めき立つのです。
キンメルは妻殺しの犯人なのか、はたまたクレアの死の真相は
ってことで、これがなかなか面白かった。

ハイスミスの原作が出版されたのが代表作『太陽がいっぱい』とほぼ同時期とあって、さり気に通じる部分があります。
ウォルターがリッチで華やかな世界にいる人間なのに対し、妻殺しの容疑のかかるキンメルは小さな古本屋を営むうだつの上がらない男。『太陽がいっぱい』はドロンさまが美しかったですが、貧しいリプリーとリッチなフィリップの対比は物語のキーとなる部分でしたよね。

太陽がいっぱい』に通じると思ったのは、金持ちウォルターのイノセントな残酷さが描かれる点です。
例えばウォルターはキンメルの店で本を予約する際、キンメルに差し出された鉛筆を受け取らず、自分のペンを取り出して名前を書く。あるいは、事件を執拗に追うコービー刑事の差し出す煙草はスルーで、マイ煙草を吸う。
建築家仲間のタバコは普通に受け取り吸うのに・・です。
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こうした「金持ちの無意識の優越感が貧乏人の憎しみに火をつける」さりげない演出がいい。
パトリック・ウィルソンは、悪気はないけど人の気持ちに無頓着なリトル・チルドレン系がハマるんですわ。
マーさんが陰鬱でサイコパスな容疑者にどんぴしゃなのは言うまでもなく、2人をキャスティングしただけでもこの映画は70%成功。
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自分の頭脳を過信し、周囲に認めさせるために画策する刑事のエゴ含め、三人三様の心理描写が秀逸で、それらが重なり合って新たな罪を生んでいく構図も面白く、俄然引き込まれます。

ただラスト10分くらいから雲行きが怪しくなるんですよね。
キンメルがお金を求めてゆするところなんか、彼の本質から逸脱してる気がしてしっくりこない。
いきなりハードボイルドに移行するのは、その時代を感じさせる演出と理解はできるのだけど、
ノアール調で〆るのなら、ラストシーンに余韻を感じさせる落ち着いたものにして欲しかったなと。

あとキンメルの動機に関わる部分がやや不明瞭なのは残念。
断片的に想像はできるのだけど、トニーとの関係含め確信できない部分が出てくるのです。
私の理解不足を棚にあげてなんですが、勝手に想像するのでなく、腑に落ちる形だったらより満足できたと思います。

それでも雪降るマンハッタンの風景等、緑がかった映像が美しく、ヘイリー・ベネットの歌声(!!)など映画としての雰囲気がとてもよくて間違いなく好きな作品。監督はTVドラマ界で活躍する新鋭のようですが、劇場映画の分野での活躍も期待したいです。
次回作は要チェック!
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