【映画】『ナターシャの歌に』トムハ祭り②
ナターシャの歌に(2006)イギリス原題:Gideon's Daughter監督:スティーヴン・ポリアコフ
トムハ祭り2本目
今日は2006年のイギリスBBC製作のテレビ映画『ナターシャの歌に』を。
あらすじ
娘のナターシャ(エミリー・ブラント)は、母を病気で亡くして以来ギデオンとの確執を強めている。母より仕事を優先した父親を許せないのだ。
今ナターシャは学校を卒業し、大学か南米に行くかの選択をしようとしている。
一方ギデオンは、事故で幼い息子を亡くしたステラと出会い・・
感想
ギデオンが出会う女性ステラにミランダ・リチャードソン
ことさらに彼を動揺させるのが、ナターシャが卒業のステージで歌った「パパ」という歌。
ギデオンはナターシャに憎まれる理由も分かっていて、それを受け入れるしかないのだけど、
彼はナターシャを本当に失うのではないかとの思いに駆られ、落ち着かないのです。
彼はナターシャを本当に失うのではないかとの思いに駆られ、落ち着かないのです。
そんな折、ギデオンはステラと出会い、快活に見えて実は深い喪失の悲しみを抱えたステラと互いの傷を癒しあうようになる。
色んな形の喪失や親子の絆が描かれ、心を動かされます。
あと、ミレニアムやダイアナ妃の死などイギリスのイベントが織り込まれる意味合いも分かりにくかったんですが、
監督は主人公を取り巻く時代背景や、それがどう影響しているかということに興味のある方なんでしょうね。
監督は主人公を取り巻く時代背景や、それがどう影響しているかということに興味のある方なんでしょうね。
前半部分をあとで見直すと色々発見がありました。
終盤、ナターシャを探して奔走するビル・ナイの姿が印象的。
親子の確執って、どこかでけりをつけたいと思ってもきっかけがなかったりするんだろうな。
ナターシャの歌はSOS。本当は互いを求めていたんだろうと思います。
実はとてもシンプルな喪失と再生を描くドラマでした。
さて、われらがトム・ハーディはギデオンの片腕アンドリュー役で登場。
レッドカーペットの会場を動き回りセレブに配慮したり、新しい仕事の情報を仕入れて積極的に動いたりと、シャープでアグレッシブな男を演じています。
ギデオンもかつてはこうして活躍していたんだろうと思わせますね。
2005年の作品なので『Scenes of a Sexual Nature』と同じ頃だけど、
このトムハは『Scenes of~』のノエルとは別人。
このトムハは『Scenes of~』のノエルとは別人。
トムハ萌えポイントとしては、若き野心家の眼光の鋭さと、スーツで決めた麗しいお姿。
一方で、虚実な世界に生きるアンドリューは華麗なる世界の中心にいることにのぼせているだけで、
自信家だけどまだ力は伴わない。そこがまた可愛いんですけどねw
自信家だけどまだ力は伴わない。そこがまた可愛いんですけどねw
アンドリューの野心と未熟さを絶妙に表現したトムハ、なかなかやりおるぞ。
劇中エミリー・ブラントの歌う「パパ」が素敵でね。
『イントゥ・ザ・ウッズ』でも思ったけどブラントの美声は今後も大きな武器になるはず。